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カタログが内蔵する欲望刺激構造

せっかく手元に届いたのだからと、出前されたお店をついつい覗きこんでしまうと、色とりどりの商品の山。電話一本いただければ現物をすぐお届けしますよ、お代はあとでけっこうですよという甘い囁き。あれ、売る側の私が「甘い囁き」なんてつい言ってしまった。自宅で店開きするという欲望刺激構造は、当然のことながら消費者を誘惑する以前に通販業者の欲望を刺激してしまうってことだね。ひと通りの必需品(買い替えも含めて)が揃ってしまった八〇年代、何か売りたい、何か買いたいという売り手と買い手の欲望がマッチして、カタログ販売は一挙に少年から大人へと成長していった。「生活水準を決定する要素は、人間が何を楽しむかではなく、その楽しみにいかに早く飽きるかにある」というアメリカの経済学者サイモンーパッテンの言葉(S&E・イーウェン『欲望と消費』晶文社・88年刊より)を八〇年代の服カタログの前に置いてみよう。服のカタログが、「衣替えの季節です。去年の服、もう飽きたころでしょ」と四季に合わせて消費者を刺激して歩く御用聞きだったことがよくわかるはずだ。そして八〇年代後半、もう買う服はないのだけれど、なにか買わないと不安で落ちつけないバブルの時代がやってくる。満腹してうとうと眠りかけている消費者の服欲望をチクチクと刺激できる小売として、四季の行商人である服のカタログはいよいよ鼻息を荒くしていくことになる。服のカタログはサブ的に生活雑貨も扱っていたので「ゼネラルカタログ」とよばれるようになるのだけれど、売上げの主力はむろん服だった。八〇年代に入るとみるみるページ数が増えていって、ご存知のような分厚いカタログになっていった。各社が似たような内容のカタログを出しても順調に伸長していけたのだから、よほど売れたのだろうね。83年度はわずか140億円だったセシールの売上げが10年後には2000億円だ。千趣会も1000億円の大台にのっている。しつこくくり返すが、この数字をつくったのはカタログが内蔵する欲望刺激構造だった。